【沼津地名探訪】その9 沼津最西の地、その名は植田。取材のごほうびは朝ラーメン!
どうも、のんべえです。
昨日の土曜日、早起きして出かけたら、市内の小学校で運動会が開催されていました。
久しぶりの制限なしの運動会、みんな楽しめたかな?
早起き・外出の目的は、今日の記事の取材。
シリーズ【沼津地名探訪】その9でございます。
【過去の沼津地名探訪シリーズはこの記事の末尾から】
タイトルどおり沼津で一番西の地名を追ってきました。
その名は植田。原小・原中校区です。
その名は植田。原小・原中校区です。
少し進むと、もう富士市です。
植田には、原ひろし@ぬまつーが書いてた消防団第33分団の詰所や、
市民生活を支えるごみの最終処分場などがあります。
鶴見製紙さんのトイレットペーパーは沼津市ふるさと納税の人気の返礼品らしい。
富士急シティバス植田バス停からは、富士市との境が見えます。
まちがいなく沼津最西のバス停。
さてこの植田ですが、以前に紹介した桃里と同様、江戸時代初期に開発された新田村のひとつだそうです。
この地で新田開発にチャレンジしたのは遠州の植田三十郎さん。
浮島沼に堤防を作って、その内側を耕地にしようと努力したけど、上手くいかなかったようです。
その後、今井六左衛門さんによって開発されたとか。
この地の名前には、最初の開発者の名前がつけられて植田新田となったそう。
千里の道も一歩から。
最初の一歩を踏み出した三十郎さんの苦労は地名として後世に残っています。
この植田三十郎さん、内膳堀を作った植田内膳さんの一族ではないかとの話もあります。
内膳堀も植田新田も、大変な苦労の末に開発されたもの。
真相はわかりませんが、さもありなんという気がしますね。
この植田三十郎さん、内膳堀を作った植田内膳さんの一族ではないかとの話もあります。
内膳堀も植田新田も、大変な苦労の末に開発されたもの。
真相はわかりませんが、さもありなんという気がしますね。
実は今回の取材、もう一つの目的がありました。
それは朝ラーメン。
市境から300mも離れてない、ここはラーメンショップ柏原店。
朝ラー目当てのお客さんで朝からにぎわっています。
朝ラーは以前にいただいたことがあるので、
丼がデカい! 直径が大きくて、浅めの丼です。
割りばしを置いてみると、そのデカさがわかります。
いただきまーす。
ごま油と細切れチャーシューをあえた白髪ねぎがどっさり。どんぶりにもネギラーメンって書いてある。イチ押しなんだな。
背脂とタマネギが浮くスープはあっさり目のとんこつベース。
焼きあごも加えて味に奥行きを出しているんだとか。
麺はストレートで喉越しがいい。
ネギと一緒に食べるとそれはそれは。
ごちそうさまでした。
七味お酢ラーメンがどうにも気になるので、近々再訪したいと思います。
ラーメンショップ柏原店
静岡県富士市柏原新田239-1
ラーメンショップの住所にも新田がついてますね。
植田と同時期に開発されたんでしょうか。
以上、シリーズ【沼津地名探訪】その9をお送りしました(笑)。
朝ラーはあくまで取材の副産物なのです、あ・く・ま・で。
参考文献:「町名の由来 静岡 清水 浜松 沼津」(静岡新聞社)
参考文献:「町名の由来 静岡 清水 浜松 沼津」(静岡新聞社)
過去の「沼津地名探訪」シリーズ
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間違えてその6って書いちゃったけど実はその7