【沼津地名探訪】その2 ミもフタもない理由で、改名
その1から、だいぶ間が空いてしまいました。
沼津地名探訪その2です。
今回紹介するのは、ぐっと西に行って原校区の「桃里」です。
東海道の街道沿い、原宿をさらに西に進んだところに位置する桃里には、東西に大きな道路が何本も通り、国1バイパス沿いには大型商業施設「カインズホーム」などがあります。

航空写真で見てみるとこんな感じですね。
千本松原と国1バイパスにはさまれたエリアは住宅街になっています。
街道沿いらしく、奥行きの広い土地が多いですね。

バイパスの北側は田畑や工場用地になっています。

そんな桃里の田畑が開発されたのは、江戸時代初期のこと。
幕府の奨励策として浮島沼の新田開発が進められたそうです。
桃里もこうした新田村のひとつに数えられます。
実は桃里というのは、明治時代につけられた地名で、江戸時代は開発者の名で呼ばれていたそうです。
その名も○○べえ新田。のんべえではありません(笑)。
この地を拓いたのは、遠州浪人鈴木助兵衛。
ってことは…
この地はかつてすけべえしんでんと呼ばれていたんですね~。
明治41年、この地名が風紀上好ましくないということで、桃里に改名されます。
当時、この辺りでは桃をよく作っていたということで名づけられたそうです。
それにしても「風紀上好ましくない」って、身も蓋もない(笑)。
ただ、助兵衛新田に住んでるってことで他所で笑われたり、肩身の狭い思いをすることはあったらしく。
住民からしたら大問題だったのかもしれませんね。
とはいえ、助兵衛さんがこの地を豊かにした事実には変わりなく、富士急シティバス「桃里東」バス停近く、浅間神社の中に、助兵衛さんの功績を称える碑が残されています。
大きな声で言っちゃうぞ、
スケベエえらい!
助兵衛新田の地名は、NHK総合テレビ【日本人のおなまえっ!】「珍地名大特集」でも取り上げられました。
今週土曜日、7月25日午前10時から再放送があるそうです。
ぜひご覧くださいね~。
参考:沼津市ホームページ
今回の記事の写真を撮るのに、桃里まで自転車で行ってみました。
沼津を東西にほぼ横断。疲れた〜。