富士急百貨店の思い出を語ろう④
シリーズ「富士急百貨店の思い出を語ろう」も、4回目となりました。
こんな断片的な記憶を垂れ流す記事ですが、ありがたいことに毎回たくさんのアクセスをいただきます。
感謝。
第1回 第2回 第3回
第4回を語り始める前に、恒例の現況写真を。
空が広くなってる!
解体業者さんのでっかい横断幕とか、落下物防止?のための囲いみたいのがなくなりましたね。ラストスパート感が出てきました。
さて、このシリーズを書き始めるとき、親会社である富士急行株式会社さんに
「こんな記事を書きたいので、当時の写真をご提供いただけませんか?」
というお願いをしましたら、即対応してくださいました。
写真提供:富士急行株式会社様「こんな記事を書きたいので、当時の写真をご提供いただけませんか?」
というお願いをしましたら、即対応してくださいました。
本当にありがとうございます!
本シリーズのモノクロ写真は、すべて富士急行株式会社様のご提供です。
実は、まだお見せしてない写真が1枚あるんです。
使いどころが難しいな、なんて思っていて。
第1回でも書きましたが、富士急百貨店は今でいうショッピングモールみたいにたくさんのテナントで構成されていたと記憶しています。
富士急名店会館っていう呼び方もあったような。
残念ながら当時(昭和50~60年代)は子どもだったし、何より男子なので、
百貨店の華であろう婦人服売場とかがどうなってたのかよくわかりません。
でもいつも店内には人がたくさんいた気がします。
で、たしか本館の4階くらいに、若い女子向けの雑貨屋さんとか
当時でいうファンシーショップみたいのがたくさんあったと思います。
中高生のころ、友達がカノジョの誕生日プレゼントを買うのにつきあわされたりしたなあ。
まあ、自分もつきあってもらったりするわけですよ。
当時の中学生男子は全員坊主頭でして。
丸刈り男子が数人、メルヘンチックなお店でプレゼントを選んでる図を想像してください。
う~ん、微笑ましい。
いつもに増してしょーもない話ですが、恥ずかしくも懐かしい個人的な思い出でした。
ではでは。